2026年のゴールデンウィーク期間にイギリスに行ってました。今回の旅の目的大きく3つ、①美術館・博物館巡り、②ミュージカル・オペラ・バレエを鑑賞体験、③産業革命・近代化について学ぶ、でした。今回は③産業革命・近代化の話になります。
2026年上期の現在、イスラエル・アメリカとイランの戦闘により、ホルムズ海峡が封鎖され、その結果、中米のパナマ運河の重要性が増しているという報道を耳にします。この「運河」という言葉、日本にいるとあまり馴染みがないと思いませんか?皆さんは、運河の正確な意味を答えられますか?
運河とは、
ヒトやモノを船で移動させるための人工の河川
のことです。キモは「人工の」です。自然発生的にできたのではなく、人の生活・産業のために、人が作った河川を指します。私の場合、「運河」という単語自体は学生の頃から知っていましたが、具体的な意味を理解したのは社会人になってからです。
世界的に有名な運河を挙げると、エジプトのスエズ運河は地中海と紅海を結び、ヨーロッパと中東・アジアの物流をつなぐ要衝です。スエズ運河がないと、アフリカの喜望峰を経由することになり、航行の日数・費用が倍増します。また、パナマ運河は大西洋と太平洋を結び、アメリカの東海岸と西海岸をつなぐ要衝です。こちらは、南米大陸南端のマゼラン海峡のルートを回避することが可能です。日本だと、小樽運河が最も有名でしょう。また、江戸時代に江戸や大坂では運河が発達し、特に米の輸送に用いられていました。
日本で運河に対する馴染みがない理由は何でしょう?直接的には、日本国内で運河の質 (規模) ・量ともに乏しいから、というのが考えられます。まず、質 (規模) でいうと、例えば、関東地方を突っ切り、太平洋と日本海をつなぐ運河があれば、それは有用でしょうし、その規模は世界に誇るものになるでしょう。しかし、その運河を作るためのリソースと、それによって得られるリターン (おそらく、1~2日かければ、関門海峡や下関を経由して、2つの海を行き来できる) を天秤にかけると、運河を作る判断には至りません。このように、島国である日本では、大規模な運河を作る動機づけが弱いです。
一方で量はどうでしょう?なぜ日本に運河が少ないのか?近年、この問いが頭の片隅にずっと残っていました。そして、その答えを今回のイギリス旅行で得ることができました。答えに至ったのは下記の写真を見た時です。イングランド中部の「ダーウェント峡谷の工場群 (Derwent Valley Mills)」と呼ばれる、産業革命に関わる工業遺産にあった看板です。この場所は、High Peak Junction と呼ばれ、鉄道と運河間での積荷の受け渡し所でした。
右上のタイトル"The long way round or up and over?" は「遠回りか、山を越えていくか?」という意味になります。そしてその下の、”In the early 1800s, canals were the efficient way transport goods around the country”とあります。"canal" が「運河」を表し、「1800年代前半、運河は国内の物資輸送に効率的な方法だった」となります。この辺りから、これって知りたい情報かも・・・と思い始めました。

下の写真は中央の地図の拡大版です。下の方に凡例がありますが、
・薄い青→自然の河川
・濃い青→運河
です。多くの運河が引かれていることが分かります。また赤枠を付けた右下が訪れた”High Peak Junction” 、左上がフットボールチーム マンチェスターユナイテッドで有名な"Manchester"です。当時としても、イングランド中部の主要都市でした。
さて運河ですが、High Peak Junctionを通る運河 Cromford Canalができたのは1794年とあります。一方、中央の標高が高い部分を点線で突っ切っているのが鉄道 (Cromford and High Peak Railway) ができたのは1830年とあります。

もう少し歴史を紐解くと、イギリスの発明家 Richard Arkwright が1771年にCromfordで世界初の水力を使った工場を建設しました。そこから少しずつ規模を大きくし、イギリスに産業革命をもたらした一人となりました。工場での使う原材料の木綿や生産品の糸はもちろん、水力を使うためには歯車などの鉄鋼部品、さらには従業員の生活物資を運ぶ輸送ルートが必要でした。そのため、Cromford Canal は1794年に開設されました。そして、そこから30~40年間は運河が物流の中心だったのです。
この数十年は、水力による初期の産業革命が始まり、その後に蒸気機関が発明されて鉄道が敷設されるまでの期間です。この期間は、水の力に頼るのが最も効率的な手段でした。
一方で、日本の産業化はどうでしょう?日本の近代化のきっかけは、1853年の黒船来航です。アメリカの被害インド艦隊のペリーが浦賀にやってきました。「蒸気船」に乗って。
ここまでくると明確ですが、日本の近代化は、水力をスキップし、蒸気機関によって産業発展をしたのです。そのため、1867年の大政奉還の後、僅か5年後の1872年に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開業されました。わざわざ、土地を掘り返し、水を通すよりも鉄道の方がはるかに有効な手段を取りました。
蒸気機関の発明がなければ、ペリーは日本に来ることはできなかったでしょうが、蒸気機関という動力源をタイミング良く国内に取り入れられたことは、日本の急速な近代化に貢献したと考えます。
「水力を経ずに蒸気機関で近代化したため、日本は運河に馴染みが薄い」というのが、今回の旅行の学びの1つです。

















