あきらめ症候群と引きこもり

NHKBS世界のドキュメンタリー「“あきらめ症候群” スウェーデン ある難民家族の記録」が非常に興味深かったので、紹介します。

 

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登場するのは、スウェーデンに暮らすコソボ難民の家族です。父親と母親、長女、次女、長男、次男の6人家族です。その家族の中で、長女と次女 (おそらく中学生から高校生) が"あきらめ症候群"となっています。

 

症状を一言で表すと、寝たきり。まぶたを開くことなく、ずっとベッドで寝ている。両親が、定期的にマッサージして、刺激を与えていました。外出時には二人を車いすに乗せますが、背もたれに体を預けるだけで、意識があるようには見えませんでした。生きていると感じさせるのは、掛布団が呼吸で上下する時と、まぶたが動く時だけ。食事も取っている様子はなく、粘性の栄養分と思われる何かを、注射器の先につながるチューブを通じて、両親が二人に与えていました。

 

彼女らが"あきらめ症候群"となったきっかけは、難民申請の棄却でした。コソボでの辛い現実からようやく脱したにもかかわらず、スウェーデンは家族を受け入れませんでした。コソボ送還への恐怖がストレスになり、二人は"あきらめ症候群"を発症しました。スウェーデンでは20年ほど前から報告されているらしく、大多数が難民の子供とのことです。

 

私は、"あきらめ症候群"をこの番組で初めて知りました。番組を見ながら思ったのは、

  1. "あきらめ症候群"はPTSD(心的外傷後ストレス症候群)の一種だろうか?
  2. 日本の引きこもりとはどう違うの?

の2点でした。

 

1. PTSDの一種か?

Webページであまり検索していないので、確かな情報ではないものの、これはまぁ、当たっていると思います。ただ、私のイメージするPTSDは、ストレスが発生した際にパニックになったり、呼吸が乱れたりするものであり、寝たきりになるのは想定の範囲外でした。

 

2. 引きこもりとは違うのか?

引きこもりも、現代の日本が抱える大きな課題の1つです。部屋にこもり、成人しても親の庇護から抜け出せず、最小のコミュニティの中で生き続ける。どこか"あきらめ症候群"に似たものを感じました。

ただ、日本の引きこもりは食事はするし、起床・睡眠のサイクルはあります。生きることが辛くても、何か (ゲームやネット、マンガ) に没頭します。ただただ、寝たきりの彼女らとは一線を画すような気がしました。

 

では、何が違うのか? 私は「最悪のストレスの経験差」だと考えました。下図は難民家族のイメージです。横軸が時間で、縦軸がストレスレベル。この家族は、コソボで非常に辛い現実と向き合っていました。番組では、家に爆弾が仕掛けられていた、とも伝えられていました。彼らの好転は、スウェーデンへの移住です。福祉国家であるスウェーデンは、彼らにとっては天国でしょう。安心して生きるということの尊さを噛みしめながら、ストレスは大きく緩和されました。

しかし、スウェーデン政府は難民家族の受け入れを棄却します。家族はコソボ送還の通知を受け、また暗黒の生活が始まってしまいます。彼らは、これから自分自身に起こることが容易にイメージできます。なぜなら、それは既に体験したことがあるから。その現実を突きつけられると、身体はストレスを感じ、生きること自体に拒否反応を示し始めます。そして、深い眠りに落ちるのでしょう。

 

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一方、日本は先進国なので、コソボのように安全が脅かされている家庭は少ないでしょう。幼少期のストレスも比較にならないです。一方で、ストレス上昇の転機は至るところに落ちています。大学受験の失敗だったり、会社での人間関係だったり、失恋だったり。そこからを大きなストレスを抱え、塞ぎがちになります。お先真っ暗な気持ちになります。そこに具体的なイメージがある訳ではありませんが、ただただ苦しい。朝、学校・会社に向かうのが辛くなり、そして部屋から出れなくなります。

しかし、部屋から出れなくても、生きることを諦めるまでに至りません。それは、今後のストレスの具体的なイメージが湧かないからです。少なくも、部屋にこもっていれば、ストレスの上昇はなだらかに抑制されるだろうと何となく想定しているからです。

 

※日本の場合、生きることを諦めた場合は、自死を選ぶことの方が多いのが実情です。これは、具体的なイメージというより、起こりうるストレスよりも遥かに膨らんだイメージを持ってしまい、それに耐えきれずに、命を落としてしまうと考えています。

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このストレスのイメージの差が、塞ぎこんでも「生きようとする力」の差に表れているのではないかと感じました。引きこもりは大きな課題ではありますが、生きようとしている分、幸せと感じます。